270. 灘校 なぜ「日本一」であり続けるのか その理由は開学の歴史にあるのでは そして、その後を追う白陵は

 2010年 4月25日掲載  2014年 4月28日再掲


掲題の書籍「灘校 なぜ『日本一』でありつづけるのか」を読んだ。そして灘校が東大進学者数で日本一となった理由について次のように理解した。

1927年 神戸の酒造家である嘉納(かのう)家と山邑(やまむら)家の寄進により創立。
顧問として嘉納治五郎(柔道講道館の創設者であり、東京高等師範学校の校長)を迎え入れる。

神戸一中に追いつけ、追い越せ・・・・・ターゲットとすべき目標があった
中学・高校の一貫教育
成績別クラス編成
優秀な先生をスカウト
6年間の教科担任持ちあがり制

開学の目標が明確で、良い先生を見つけ、効率的な教育システムを構築できたところがポイントか。
いつかのテレビの番組で見たが、国語の教科書に「銀の匙」を教科書として徹底的にその内容を理解する事業をした後に、東大への合格率が向上したとのこと。
勉強の仕方を学ばせることにより、自ら考え、自ら学びとることができるようにする学習方式が功を奏しているということか。


対比として灘校の後を追う白陵校は、

兵庫県にある白陵校 1963年設立  姉妹校に岡山白陵(1987年設立)がある

灘校に追いつき追い越せが開校時の合言葉
旧制白陵中学校(姫路)の流れを引き継ぐ(校章、寮歌も同じ)

中学・高校の一貫教育
成績別クラス編成
かつては中学2年の国語の教科書に「銀の匙」を取り入れた。


東大への進学率は社会実情データ図録によると、

            合格者数  卒業生数 合格者数順位 合格者/卒業生順位
  灘校(兵庫県)  102     217       3          2
  甲陽(兵庫県)   20     200      34         21
  白陵(兵庫県)   19     191      36         22
  白陵(岡山県)   19     175      36         18

いずれの高校も卒業生の数が約200名前後である。






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