62. 養殖海苔の収穫方法 潜り船での刈り取り作業

 2008年12月21日掲載  2014年 1月13日再掲


前ブログで紹介した、播磨灘での海苔の収穫方法につき、明瞭な画像を引用して補足する。

明石沖での海苔の収穫風景



岡山県での海苔の収穫風景

http://ww32.tiki.ne.jp/~sirosuisan/okayamakenn.noriyousyoku/nori-yousyoku.htm
以下、引用
5)収穫・加工
秋芽網、冷凍網いずれも1〜2週間おきに潜り船と呼ばれる船でノリ葉体を刈り取る。秋芽網は3〜5回、冷凍網は10回ぐらい続ける。収穫した葉体は陸上の加工場に運び、水洗、切断、抄製、脱水、乾燥、選別、包装等の工程を経て乾ノリとなるが、最近では完全自動化が進んでいる。


さらに、
2008年12月21日掲載
まず、兵庫県・明石の位置を示しておく。明石は淡路島への玄関口で、世界一のつり橋である明石大橋(主橋脚2本の間隔が2km)で有名である。また、タコやタイなど、新鮮な海産物にも恵まれる。

兵庫県の海岸のかなりの部分は工業地帯で占められているが、明石付近では比較的自然の状態で浜が残され、年中を通して家族ずれの散策や、夏には海水浴客で賑わう。

兵庫県明石付近の地図 (写真はダブルクリックで大きくなります)


今回、明石から西の方向に位置する、瀬戸川と谷八木川の間の「浜の散歩道」を散策した。20日は天気もよく、11月の陽気であった。

案内図


「浜の散歩道」から東の方向の風景である。はるかかなたに明石大橋の主橋脚2本がかすかに見える。2本の橋脚のうちの一本は写真のほぼ右端に位置している。

明石海岸の遠景


江井島(えいがしま)の酒蔵資料館である。明石より東に位置する神戸の灘五郷は有名であるが、播磨地方にも多くの酒蔵がある。

酒造記念館


日本各地の海岸には多くの住吉神社がある。航海の安全を祈る神社である。明石市内には住吉神社と名がつくものが12もある。

明石市神社リスト
http://homepage3.nifty.com/jinja-kenkyubu/jinjaindex.htm


しかし、写真の住吉神社(兵庫県明石市魚住町中尾1031)は別格であるようだ。Wikipediaによると、
「初めて住吉大神が祀られた地ということで、「住吉神社の発祥の地」を称している。これは、上記のとおり神功天皇が播磨灘で暴風雨にあった際、当地に滞在し、住吉大神に平穏を祈願したところ風雨はたちどころに納まり、つつがなきを得たと伝承されることにちなんでいる。その際に皇后の衣を松の枝に掛け干していたところ風になびき錦のように美しく見えたことから「錦ヶ浦」と呼ばれるようになった。」となっている。

住吉神社






明石海峡の潮流はその流れが速いことで知られている。明石と淡路島の間の海峡は4kmの幅しかなく、そこを潮が流れるため、潮流による海岸への浸食作用も大きい。この浸食により地層から化石が出現する。そのひとつがアカシゾウである。

アカシゾウ


同じ海岸よりかつて明石原人が発見された。
Wikipediaによると、
「昭和6年(1931年)4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸[1]において民間人・直良信夫が、古い人骨の一部(右寛骨〈う-かん-こつ〉:os coxae (right))を発見した。しかし、直良が無学歴のアマチュア考古学者[2]であったこともあり、専門家には相手にされないままであった。 鑑定のため東京帝国大学(現・東京大学)の松村瞭のもとへ送られ、石膏模型を製作するなど、予備的な研究はなされたのであるが、最終的な結論が出されないまま返却され、人骨を旧石器時代のものとする直良信夫の主張は、学界では認められることは無かった。 そして、第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)5月25日、東京大空襲によって化石現物が焼失してしまう。」となっている。

ウミガメの産卵の地としても知られる。

ウミガメを守りましょう


瀬戸内海に沈む夕日である。今年は本日21日が冬至であるが、その1日前の夕日である。今日は天気が崩れるとの予報であるので、本年見ることのできた一番早い日の入りかもしれない。

明石海岸よりみる瀬戸内海の夕暮れ


兵庫県の播磨灘沿岸は海苔の養殖が盛んである。夕日の前に一艘の小舟が見えるが、小舟と夕日の間には一面に海苔網が広がる。海苔舟はこの海苔網を引き揚げ、海苔のついた網を舟の天井部分を通過させながら海苔をそぎ落とす(写真はその作業中)。効率的な収穫方法である。



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