三木鉄道の廃止と国包駅

 国包駅(Wikipedia)
 


単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。線路はほぼ東西に走り、ホームは線路の北側にある。無人駅であった。

駅舎はホームに接して設けられており、待合所やトイレ汲取式)などが小さくまとめられた簡単なものとなっていた。この駅舎は鉄筋コンクリート造り1階建て、18平方メートルの建物で、大阪鉄道管理局の建築課によって設計された。昭和50年代から全国の無人駅には同様の駅舎が多数設置されているが、1976年(昭和51年)に建てられた当駅のものはその最初であり、無人駅における簡易な駅舎の設置の嚆矢となったとも言えるものである(当時はカプセル駅と呼ばれた)。

駅舎の内部には椅子などが設けられていた。その他、駅の外部の駅舎脇には公衆電話が設置されていた。

 
三木鉄道代替バス神戸電鉄恵比須駅行/厄神駅行(2008年4月1日より運行) - 駅付近に国包東バス停が設置された。
 

当駅開業前にも、現在の厄神駅が初代「国包駅」を名乗っていたが、当駅開業時に初代国包駅は厄神駅に改称された。


2008年3月31日
さよなら三木鉄道 兵庫のローカル線、31日を最後に廃止

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080331/trd0803311239011-n1.htm(リンク切れ)

   
   
 ノコギリなど金物の全国有数の生産地として知られる兵庫県三木市の三木駅と加古川市の厄神駅間(約6・6キロ)を約13分で結ぶ第三セクターの三木鉄道が31日夜、92年の歴史に幕を下ろす。最後の雄姿を見ようと、沿線にはカメラを持った多くの鉄道ファンらが連日訪れている。「時代遅れ」と言われながらも地元の人々に愛されてきたローカル線の「廃線前夜」を追った

 3月最後の土曜日となった29日、三木鉄道は普段の10倍ほどの約3300人の乗客でにぎわった。

 三木駅のホームには「ありがとう三木鉄道」と書かれた特製のヘッドマークをつけた車両にカメラのフラッシュが光る。往復500円の記念切符は1日で400枚以上を売り上げた。

 三木鉄道は大正5年、山林から切り出した木材や山間部の人々を都市部へ運ぶため「播州鉄道」として一部が開通し翌年、全線が全通した。その後、国鉄へ移管されたが、貨物輸送の主役は鉄道からトラックへ。貨物営業は廃止され、昭和60年に国鉄からの経営分離で第三セクターの三木鉄道が発足した。

 利用客減少の中、同社は新型車両を導入して新駅も建設したが抜本的な経営改善とならなず、平成18年の三木市長選で廃線を公約に掲げた藪本吉秀市長が当選。昨年10月、正式に廃線が決まった。4月1日からは、同市の補助を受けた神姫バス(姫路市)が線路に平行して代替バスを走らせる。