国包けやきの会 2019年新春セミナー 第一弾


2019年 国包けやきの会 新春セミナーのご案内



 会場いっぱいの来場者で、正に満員御礼であった。けやきの会会長の藤原忠悟より、国包けやきの会立ち上げの意義と、本日の多くの来場に対する御礼、そして、この地での「播州歌舞伎」の友情公演に至った経緯の説明があった。

 どのような歌舞伎であるか、興味津々であった。「三番叟」30分の短い公演であったが、その艶やかさと立ち居振る舞いに会場の全員が満足したものと思う。その証として、公演終了後に実に多くの「おひねり」が投じられた。

 公演後に記念撮影タイムを設けるなど、技能に加えてまさにプロの精神を合わせ持った劇団との印象であった。団員には若い人が多く、これからの当劇団の益々の成長が楽しみである。

 来場者を待つ  会場は満員御礼  けやきの会会長あいさつ
 BanBanテレビも収録に  いよいよ開演  三番叟
 「おひねり」後絶たず
 記念撮影 足元には「おひねり」
     

 第2部は、劇団のおひざ元である多可町と劇団の歴史について多可町教育委員会の岸本裕介様よりお話があった。多可町は「敬老の日」発祥の地から話を起こし、かつては多可町の木材がいかだ組みされ杉原川と加古川本流を経て国包に至り、建具の材料として用いられたのではと。

 ご講演の中心課題は、歌舞伎の始まりと、その歌舞伎が約300年前にどのように多可町にまで伝わったか、そして、多可町で一旦潰えた歌舞伎の火が再びともるに至った経緯、そしてその火をさらに力強いものとしていくにはどうすべきか、と地域に深い愛情を持った語り口であった。


 歌舞伎の歴史については、本日の講演会資料として配られた冊子(下にプリント)に詳しく記されている。
     
 多可町教育委員会 岸本様

 第3部は播州歌舞伎クラブの山根加織代表より、まずサンテレビが本年1月13日に放送した当クラブの紹介番組「輝きさん」の放映があり、クラブの概要が映像で紹介された。この映像は本日(2019年2月17日)現在、サンテレビのホームページより見ることができる。

 山根代表が小学校3年生で歌舞伎を始めたこと、その後代表となり今日に至っていることを話された。その後で話の核心に触れられた。一旦途絶えた地方歌舞伎を昔の姿に戻す難しさ、特に劇団員を増やすこと、技術の向上がそのポイントであり、技術の向上の中心課題のひとつは装束の着付けとのことである。腰ひもの結び方一つにしても、どの高さでどのように結ぶかなど、そのバリエーションは大きいとのこと。

 他の地域の地方歌舞伎団体とも連携を取りながら、技術の向上に邁進されているとのことである。



 播州歌舞伎クラブ 山根代表  SUN-TV 2019.1.13放送
 ここまで SUN-TV
     
     
     
     
 織田正樹加古川市議のご挨拶  岸本建樹加古川市議のご挨拶  劇団員によるお見送り



加古川経済新聞 2017年2月7日記事

加古川で「播州歌舞伎」セミナー 伝統を継承してふるさとを元気に

 国包けやきの会新春セミナー「ここにあり播州歌舞伎」が2月17日、国包公会堂(加古川市上荘町)で開催される。主催は「国包けやきの会」。

国包けやきの会代表 藤原さん 

「まちづくりを分かりやすく面白く」をコンセプトに、地域住民有志で構成するまちづくり団体として2015年に発足した同会では、定期的にイベントやセミナーを行っている。新春セミナーは毎年2月と3月に開催している。会員数は現在約70人。

 4回目となる今回のセミナーは多可町中央公民館播州歌舞伎クラブ(兵庫県多可郡多可町)による「播州歌舞伎」。「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」と呼ばれる演目を披露するほか、同クラブ代表の山根さんの講演会を開催する。老若男女で構成される同クラブは定期的に地方公演などを行い、町ぐるみで伝統文化を広めているという。

 国包けやきの会メンバーの松本洋一さんは「能、文楽に並ぶ日本の伝統文化である歌舞伎を多可町で伝承・継承、普及に取り組んでいることに、同じ加古川流域の者として大変うれしく感じる」と話す。

 町の活性化、地域おこしのきっかけづくりを続ける同会会長の藤原忠悟さんは「かつて国包には国包駅、多可町には鍛冶屋駅という駅があった。現在は廃線となった歴史がある2つの町がつながるのは面白い。みんなで自分たちのふるさとを元気に、一緒に輪を広げよう」と呼び掛ける。
「過去の中に未来があるかもしれない。年代を超え同じものを見て何か感じるものがあれば」とも

 13時開場、13時30分開演。入場無料。



神戸新聞 2019年2月16日








BanBanテレビ放送予定






播州歌舞伎クラブ情報

 播州歌舞伎クラブ ホームページ
 多可町中央公民館播州歌舞伎クラブ
 播州歌舞伎クラブ情報局
 



播州歌舞伎の歴史(地芝居ポータルサイトより

 播州歌舞伎は元禄時代から行なわれていた高室芝居の流れを汲んでいる。高室の一座は昭和初期になくなったが、「嵐獅山一座」がその流れを継承した。嵐獅山・中村和歌若の振付師とともに1994年に播州歌舞伎クラブが設立。主に中村和歌若(故人)の指導を受ける。2014年に20周年を迎えた。



三番叟(Wikipediaより)

 三番叟(さんばそう)は、日本の伝統芸能。式三番(能の翁)で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事。能楽では狂言役者が演ずる。

 元々「式三番」という名称は、例式の 3番の演目という意味で、「父尉」「翁」「三番猿楽」の 3演目を指すものであり、室町時代初期には「父尉」を省くのが常態となっていたが、式二番とは呼ばずそのままの名称が使われている。古くは、その3番のうち 12番目は聖職者である呪師が演じたが、「三番叟」は 3番目の演目であり呪師に代って猿楽師が演じ、「三番猿楽」と呼ばれ、「三番三」とも呼ばれる。

 三番叟の舞は、揉ノ段と鈴ノ段に分かれる。前半の揉ノ段は、面を付けず、足拍子を力強く踏み、軽快・活発に舞う。後半の鈴ノ段は、黒式尉を付け、鈴を振りながら、荘重かつ飄逸に舞う。

 翁の舞が、天下泰平を祈るのに対し、三番叟の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれ、足拍子に農事にかかわる地固めの、鈴ノ段では種まきを思わせる所作があり、豊作祈願の意図がうかがえる。式三番のうちでも、翁以上に後世の芸能に影響を与えた。歌舞伎や人形浄瑠璃などに取り入れられ、また日本各地の民俗芸能や人形芝居のなかにも様々な形態で、祝言の舞として残されている。なお、三番叟の系統を引く歌舞伎舞踊や三味線音楽を「三番叟物」と言う。




会場で配布されたパンフレット  播州歌舞伎クラブ発足までの歴史と、クラブの現在