国包けやきの会 2018年新春セミナー 第一弾


(第1部)

講演会 国包と八幡町の歴史に学ぶ

講師 飯沼博一氏 郷土史家 Web「ひろかずのブログ」の著者

ご講演資料 圧巻の資料をご用意くださいました。
        時間の関係でページの一部は割愛されています。
        さらに詳細な情報は「ひろかずのブログ」の目次集にあります。

ご講演の概要

 奈良時代に郡名が決められ、印南郡と加古郡が誕生した。その時には、加古川は両郡の境を流れていた。その後(1225年)、加古川の流れが変わり今の位置となり、国包は川の東西に分断されることになった。加古川の西岸に位置した印南郡国包は、東岸の加古郡側に位置することになった。


 明治22年4月1日に行政区画が見直され、上荘村と八幡村が制定された。この時に、国包は上荘村に帰属することを選んだ。この結果、行政区と生活区がねじれた関係となり現在に至っている。加古川下流では加古川の流れが変わったため、国包と同じように郡名と立地が一致しない地域があったが、これらの地域は実情に合うように帰属を変更した。

 国包と八幡の境、すなわち印南郡と加古郡の境を流れていた加古川は、その流れがこの地において大きく曲がっていたのでこの地はかつて望理里(まがりのさと)と呼ばれた。国包(くにかね)という名前の発祥は明らかではないが、おそらくは曲尺(かねじゃく)に由来している。昔は音(はつおん)があり、その音に合わせて漢字は後から決まっていった。

 室町時代は播磨灘に5つの港があり、高砂はその一つであるとされる。実際には今の加古川市稲屋付近であった(1)。戦国時代から江戸時代にかけては土木工事の技術が進み、高砂にも城が建てられた。しかし、江戸時代になると一国一城政策により、1615年に高砂城は取り壊され、今は高砂神社となっている。その後、高砂は商業の街として栄えていく。

 加古川の舟運について、運行は冬の寒い時期であった。夏場は田に水を入れるために川のあちこちに堰が設けられたため運行できなかった。冬の朝4時に滝野を出た船はその荷を高砂で捌き、夜は国包まで帰ってきて宴会となった(詳細は資料の7 舟運・国包の川岸②参照)。船町と国包は舟運で栄えた(資料の6 舟運・国包の川岸①の当時の繁栄ぶりが)。

 国包は農業用水には恵まれなかった。水の苦労が付いて回るので「国包には嫁にやるな」と言われていた。江戸時代の終わりに畑応親が明石藩の美囊川(みのがわ)より水を引いた。このとき生野銀山の採鉱技術も使用された。

 国包に遊山街道が通る。この道は1300~1400年ごろに赤松氏が軍事道路として整備したものである。この赤松氏は志方の城山に城を作ったのは間違いないと考えられるが、歴史から抹殺されている。北朝派の歴史は残っていない。

(以上、講演でお教えいただいたことを、その一部ですが、忠実に書き記したつもりです。
 なお、この記載に事実と異なることがあれば、これは筆者(私)の聞き違いによるものです)


ご講演の終わりに先生の書かれたご本 A History of Kakogawa City の紹介がありました。
表紙と目次部分をコピーさせていただきました。

(1) A History of Kakogawa City , Page 24 からの引用
 Kako no Minato(the Kako Harbor)
  In Nihon-shoki, the Chronicles of Japan written in the Nara Period, there is a following description: When a Emperor went out hunting to Awaji Island, he saw a lot of deer crossing the sea and entering into the Kako Harbor.
  There were few big ships before the Nara period. Almost all ships sailed along the coast. Naturally,many harbors were necessary. The exact location of the Kako Harbor(Kakono Minato) was not mentioned in the Historical Chronicles of Japan. The Kako Harbor was probably located near the estuary of the Kako River. We suppose that there was the Kako Harbor around Inaya (Kakogawa Cho in Kakogawa City). Inaya was a village at the estuary of the Kakogawa River.


(第2部)

モアナニ・ハワイアンズによるスチールギター・ウクレレ演奏

 本日は天候もよく、春の日差しの中、眠りを誘われるように気持ちよく調を聴いた。

(曲目)

 素敵なあなた、 荒城の月、 珊瑚礁の彼方に、 ラ・クンパルシータ、 夢誘うハワイ など



2018年 国包けやきの会 新春セミナーのご案内


国包公会堂とけやきの木

国包けやきの会 会長挨拶

講演の始まりを待つ会場

飯沼博一先生による講演

聴衆に質問を投げかけながら

著書(英文で書かれた加古川の歴史)を手に

モアナニ・ハワイアンズによる演奏

楽しい時が過ぎていく

音楽に合わせて華麗なフラも

国包町内会長の御礼のあいさつ