神戸長田港から会下山公園を経て烏原貯水池へ  
                            2016年6月12日

山陽電鉄の板宿から南に歩き長田港に至る。長田港は漁港である。近くには「くぎに発祥の地」の碑がある。そこから、海岸沿いに東に歩くと新湊川の河口に至る。

新湊川に沿って北上する。川岸には湊川公園が続いている。JRの高架を抜けてさらに進むと川は東に折れ、すぐにビルの谷間に赤い欄干の橋が見えてくる。ここを左に曲がれば長田神社である。参拝する。

再び新湊川まで戻って東に進んでいくと新湊川トンネルが見えてくる。このトンネルの上は会下山(えげやま)公園となっている。Wikipediaによると、会下山は多くの伝説と歴史で満ちている。

会下山を下っていくと神戸電鉄の高架をくぐる。その先すぐに新湊川トンネルの入り口部分がある。川に沿って上流へと上って行くと右手に「東山商店街」の入り口が見える。新鮮な魚などを扱う店が多く、神戸の台所である。

さらに進んでいくと阪神大水害の慰霊塔があり、その先しばらくはきれいな水が穏やかに流れている。この水の源は烏原(からすはら)貯水池であり、神戸上水の水源である。

その先は山に入る。天王町の街並みを進んでいくと貯水池からの水を運ぶ水道橋に行き当たる。ここより先へは進めないので、流れを遡る旅はここまでとする。

天王町は昔は戸数160軒の町であったようだが、過疎化が進み今では人の住む家が60軒程度となっている。急坂に加えて道幅が狭く、決して住み易いといえないように見える。町の成り立ちが、貯水池と水道に関する人たちが住居を構えたことも過疎化の進んでいる原因のようだ。

烏原貯水池へはMap4に示すように、一旦、天王町より下って、それから再び上りなおす。貯水池水面の標高は私の推計では約110mである。

貯水池からは、Map5に示すように流れに沿って町まで降りる。その後、新湊川に沿って来た道を帰り、東山商店街を通り抜けてJR神戸駅まで帰る。



新湊川 (Wikipedia)より抜粋

延長 12 km
水源の標高 468 m
水源 再度山(兵庫県)

再度山(ふたたびさん)北麓付近(兵庫県神戸市北区山田町下谷上)に発した天王谷川が神戸市北区を廻って国道428号沿いに南下、中流域の神戸市兵庫区で石井川と合流して湊川となる。洗心橋付近から西流に転じ、神戸電鉄の側で会下山(えげやま)をくぐる(会下山トンネル)。市立神港高校をかすめると長田区に入り、長田商店街を横断。長田神社方面からの苅藻川を併せてからは再び南流し、大阪湾(長田港)に注ぐ。河口東側に、埋立地の苅藻島がある。

歴史

1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災。湊川隧道が大規模損壊。
1998年 - 水害の発生。
1999年 - 水害の発生。 1998年・1999年の水害は、湊川隧道の移設・拡張工事のために水路を暫定的に狭小化していたなかで集中豪雨による増水が重なったものであった。1901年の付け替えの起点となる荒田町で、旧水路側(付け替え起点部上流から見て直線方向でもある。)に水が流れ出したため、同地域に存在する商店街が水害の被害を受けた。
2000年(平成12年)12月 - 会下山トンネル(湊川隧道)に替わる新トンネルを旧トンネルに平行して施工、通水。新湊川トンネルとも言う。


長田神社(Wikipedia)

日本書紀』によると、201年神功皇后摂政元年)2月、神宮皇后三韓征服後、新羅から難波に帰還する途中、武庫の水門(現在の駒ケ林あたりといわれる)で船が進まなくなったので占ったところ、事代主の神より「吾を長田國に祀れ」と神託を受け、創祀されたという。 この由緒から、2001年平成13年)には鎮座1,800年を祝った。太古から長田神社と呼ばれていたが、長田社・長田宮・長田大明神・摂津本宮長田大明神とも呼ばれていた。



会下山公園(えげやまこうえん、Wikipedia)

明治34年(1901年)の湊川の改修で、苅藻川と合流させるために、会下山の下に湊川隧道を掘り、新湊川が開削された。 湊川隧道の呑み口側の橋には「湊川」、吐き口側には「天長地久」の小松宮彰仁親王揮毫の扁額がある。



阪神大水害慰霊塔

阪神大水害(Wikipedia)より抜粋

水害で被害を受ける神戸市加納町三丁目付近
阪神大水害(はんしんだいすいがい)とは、1938年(昭和13年)7月3日から7月5日にかけて、神戸市及び阪神地区で発生した水害。

同地域では、阪神・淡路大震災(1995年(平成7年)1月17日)と並び語られる自然災害である。

6月末に太平洋岸に形成された顕著な梅雨前線が7月3日に瀬戸内海を通過、3日の夕方から降り始めた激しい雨は4日夕刻に一時収まったが、5日午前1時から5日13時23分まで大豪雨となった[1]。この3日間で降水量が最も多い時には60.8mm/h、総降水量は六甲山で616mm、市街地の神戸海洋気象台でも461.8mmに及び、阪神間の広い地域で400mmを超えた。六甲山南麓(いわゆる甲南地域)には芦屋川、住吉川、石屋川など、急峻な山地から一気に海へと流れ下る川が多いため、各河川流域で決壊、浸水、更に土石流などの土砂災害が相次いだ。交通網・通信網も寸断され、都市機能は麻痺した。

被害

死者・行方不明者 家屋の流失・倒壊・埋没 家屋の半壊 浸水家屋 橋梁喪失

神戸市
616人 5,054戸 6,776戸 79,625戸 52カ所

西宮市、精道村(現芦屋市)、良元村(現宝塚市)
38人 253戸 932戸 22,124戸 23カ所

武庫郡(現神戸市東灘区)
48人 352戸 888戸 7,343戸 8カ所

有野村、山田村(現神戸市北区)
13人 73戸 34戸 251戸 47カ所

合計
715人 5,732戸 8,630戸 109,370戸 130カ所


烏原貯水池のあゆみ
 烏原貯水池の建設によって、明治37年(1904年)、烏原村は水没しました。当時の村の規模は、戸数98戸、人口414人で、住家89棟、納屋38棟など合せて135棟がありました。谷あいの村で、中央部のやや平坦なあたりに人家が点在していました。




Map1 全体の見取り図

Map2 Map1の部分拡大

Map3 Map1の部分拡大

Map4 Map1の部分拡大

Map5 Map4の部分拡大
長田港
  写真2
いかなごくぎ煮の発祥地
  写真3
新湊川の河口近く
  写真5
新湊川を渡るJR線
  写真6
赤欄干の橋
  写真8
長田神社(赤欄干の北側)
  写真21、22
新湊川トンネル
  写真9
会下山(えげやま)公園
  写真11
神戸電鉄
  写真11
東山商店街
  写真13、23〜25
阪神大水害慰霊塔
  写真14
天王町の街並み
  写真16
水道橋
  写真16
烏原(からすはら)貯水池
  写真17〜20
山陽電鉄の板宿駅より南下して長田港まで
   写真1    写真2
 
長田港より海沿いに東へ
   写真3    写真4
 
新湊川に沿って北上(JR線まで)
   写真5    写真6
JR線から会下山公園下まで(途中の長田神社は下に)
   写真7    写真8    写真9
会下山(えげやま)公園
   写真10    写真11
会下山公園より上流へ(商店街は下に))
   写真12    写真13    写真14    写真15     写真16
烏原(からすはら)貯水池へ
   写真17    写真18    写真19    写真20 
 
長田神社
   写真21    写真22
商店街
   写真23    写真24    写真25