65. 江戸時代のたたずまいを現代に伝える 奈良県今井町 年末の静かなたたずまい

 2008年12月31日掲載  2014年 1月13日再掲


久しぶりに奈良県の今井町へ足を運びましたので、写真の一部を紹介いたします。年末のことでもあり観光客はゼロ。そこには静かに江戸時代のたたずまいを残す住宅群がありました。

春秋の各1ヵ月、公開されている民家もあるようです。


今井町の歴史 Wikipediaより
引用の開始
 古くは興福寺の荘園で、中世の環濠集落を母体として発展した町である。 室町時代後期に、浄土真宗称念寺を中心とする寺内町となり、東西南北の他、新町・今町の6町が成立した。 石山合戦の際には、石山本願寺について織田信長に反抗、環濠や土居、見通しを妨げる筋違いの道路等を築いて城塞都市となった。 1575年、織田信長に降伏してからは大阪湾に面する堺と並び称される自治都市として栄え、江戸時代には「大和の金は今井に七分」とも言われた。

 江戸後期に重税により町は衰退に向かい、明治期には近隣に持ち上がった鉄道駅建設計画に反対したことから都市化を免れることができた(畝傍駅として開業)。それゆえ現在も、町の大半が江戸時代の姿を残しており、大部分は実際に住居としても使用されている。

 重要文化財9件12棟、県文化財3件11棟、市文化財4件4棟。重要伝統的建造物群保存地区に選定。


                                  引用の終わり

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今井町の案内図


今井町の歴史的町並み(引用)






卯建を上げた民家。卯建(うだつ)とは防火のために上げたものとされるが、商売に成功した商家が多く取り付けたことから、「うだつがあがる」は成功者を意味する言葉として現在に伝えられている。




江戸時代の前期には防衛を図るために、太い木材で木格子が組まれた。
江戸時代の後期になるとこの木格子には細い木材が使用されるようになった。
屋根瓦の各筋に丸瓦が使われていることも特徴。


屋根の上に空気抜きが取り付けられている。





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